日本半導体のラストチャンスであるラピダスは、2025年3月現在、ようやく1合目に達したばかりです。「政府も出動してずいぶん大騒ぎしたが、まだその程度か」と感じるでしょうか。しかしラピダスがやろうとしていることは、世界で最も重要で最も難しい事業の1つなので仕方がないところでしょう。そこでこの記事では、千歳市(北海道)で工場建設が進む、次世代半導体メーカー、ラピダスの今を紹介します。
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この「半導体の話題」では、金属加工会社の経営者が知っておきたい、世界的なビッグ・ビジネスの今を紹介します。半導体業界は、金属加工会社が活躍できるフィールドです。
ラピダスが登場した背景「日本復活をかけた戦い」
ラピダス株式会社の本社は千代田区(東京都)にありますが、メインの拠点は千歳市の「半導体開発製造拠点IIM(イーム)」(以下、単に工場)になります。現在のラピダスを1合目と表現したのは、同社の代表取締役社長で工学博士の小池淳義氏です。何が起きたのかというと、半分ほど完成した工場に、500億円もするEUV露光装置という機械が搬入されました。これは2ナノメートルという超微細な回路を半導体内部につくるのに欠かせない機械です。
ラピダスの正体を明かす前に、なぜこの国家プロジェクトが立ち上がったのか、その背景を解説します。
日本の半導体が再び世界を支えるために
そもそもなぜ半導体が国家プロジェクトのメイン・メニューに選ばれたのか。経済産業省は「すべての産業と生活にデジタル化が必要で、デジタル化を支えるコンピュータとソフトウェアに半導体が必要だから」と説明しています。半導体が支える「すべて」とは、製造業、情報通信業、サービス業、建設業、医療、教育、クラウド、5G、データセンター、スマホ、パソコン、自動車、家電などのことであり、つまり「世界のすべて」といえます。
日本の半導体は1988年に世界シェアの50%を獲得し世界1に君臨していました。世界を支えていたのが日本の半導体だったから、日本経済が強かったのです。ところが日本の半導体の世界シェアは2019年には10%にまで低下しました。日本経済が弱いのは半導体が弱いから、ともいえるのです。ラピダス誕生の背景には、日本の半導体を、再び世界を支える強いものにしなければならない、という関係者の強い想いがあります。ラピダスの成功なくして日本経済の復権はないというわけです。
ラピダスの概要:世界最強の布陣
ラピダスは国家プロジェクトです。世界の半導体市場の規模は2030年には100兆円になるとされていますが、日本の半導体企業の合計売上高は2020年時点で5兆円ほどしかありません。そこで政府は、この5兆円を2030年までに15兆円に増やしたいと考えています。日本の半導体が1年間で稼ぐ額を15兆円にすべく、ラピダスを国家プロジェクトとして推進していくわけです。
ミッション1:次世代のロジック半導体をつくること
日本の半導体は凋落した、とはよくいわれることですが、メモリー半導体のNANDでは日本のキオクシアが世界2の19%のシェアを持っていますし、パワー半導体では三菱電機がシェア9%で世界3位に食い込んでいます。日本が弱いのはロジック半導体です。ロジック半導体はAIやデータセンター、自動運転、5Gなどの重要ITインフラで使うで、世界が注目しているのです。ラピダスのミッションも「世界最先端のロジック半導体の開発と製造」となっています。
なおロジック半導体とは次のとおりです。
■ロジック半導体とは
トランジスタをベースとした高度な論理演算を実行する半導体デバイスで、情報通信機器をはじめとするさまざまな電子機器に搭載されている。演算を高速かつ低消費電力で行うためには、トランジスタを微細にして数多く集積する技術が鍵となる。 半導体には、情報を記憶するメモリー半導体や、電力を変換するパワー半導体などもあるが、今日のデジタル時代を導いた立役者として、ロジック半導体は半導体の本流にあるといえる。 |
(国立研究開発法人産業技術総合研究所のサイトから)
ミッション2:2ナノにすること
半導体の性能は、その内部を通る回路の細さ(回路幅)によって決まります。回路が細いほど小型化が可能になり、省エネ性能が向上し、一度に処理できる情報量が増えるので、ロジック半導体の処理能力が高まります。ラピダスは回路幅2ナノメートルのロジック半導体をつくろうとしています。ちなみに花粉の大きさが3万ナノです。現状、日本企業で最も細い回路をつくれるのはルネサスで、そのサイズは40ナノ。世界最大手の台湾のTSMCや韓国のサムスンでも3ナノが限界です。
ところが2025年には、TSMCとサムスンの両社が2ナノの生産に乗り出すとされています。したがってラピダスが計画とおりに2027年に2ナノを量産できても、その時点では最高でも世界3位かもしれません。したがってラピダスの2ナノは、実現困難な目標でありながらも、必ずクリアしなければならない数値でもあるのです。
海外の半導体企業に協力を仰ぐ
「残念ながら」と言わざるを得ないと思うのですが、ラピダス事業は国家プロジェクトとはいうものの、日本の力だけでは達成できません。ラピダスは、アメリカのIBMや、フランスの半導体研究機関Leti、ドイツのFraunhofer、ベルギーのImecなども協力を仰いでいます。半導体は安全保障に関わる商品でもあるので、西側各国の有力半導体企業・機関が日本に力を貸してくれているのです。
本物のオールジャパン
ラピダスの資本金は2022年11月末時点で約73億円にもなります。まだ製品を1個もつくっていない企業なのに、です。なぜこれだけの資金が集まっているのかというと、有力な日本企業が支援しているからです。73億円(出資金)の内訳は、トヨタ自動車、デンソー、ソフトバンク、NTT、ソニーグループ、NEC、キオクシアが各10億円で、三菱UFJ銀行が3億円となっています。
そしてトヨタとデンソーは追加で出資することを表明済みですし、三菱UFJ銀行以外のメガバンクである三井住友銀行とみずほ銀行、そして日本政策投資銀行も出資することになっています。富士通も出資予定です。出資なので、これらの企業がすべてラピダスの株主になります。銀行はさらに融資も行ないます。政府の支援については次の章で紹介しますが、それを含めてラピダスへの支援は本物のオールジャパンといえるでしょう。
スーパースターが参加
「暖簾に腕押し」とは、強く押してもまったく手応えが得られないことのたとえです。ラピダスは、オールジャパンによる支援をしっかり受け止めることができるのでしょうか。
社長の小池氏は早稲田大学大学院理工学研究科を修了したのち、東北大学大学院で工学博士業を取得します。日立製作所などを経てアメリカのウエスタンデジタルの日本法人のトップに就任したあと現職に就きました。ミスター半導体といえる人です。ラピダスの会長、東哲郎氏は国際基督教大学を卒業後、東京都立大学大学院で近代日本経済史を学び、東京エレクトロンに入社し社長と会長を歴任しました。東京エレクトロンはIT製品やIT機器の商社業から始まり、現在は半導体製造装置を自社開発・製造する2兆円企業です。
ほかにも、日本IBM出身の折井靖光氏や、東芝やキオクシアにいた石丸一成氏、富士通とウエスタンデジタルを歴任した清水敦男氏が専務に就いています。日本の半導体のスーパースターがそろっている、といっても過言ではありません。
日本政府の本気度(多額の税金を投入する)
ラピダスの工場建設が着工された2023年9月、当時の首相、岸田文雄氏は、「次世代半導体は、デジタル化や脱炭素化の実現に不可欠なキーテクノロジーであり、経済安全保障の観点から重要な戦略物資である。半導体の安定的な供給体制の確保は、我が国、そして世界の経済社会にとって喫緊の課題だ。ラピダス社の挑戦は我が国の半導体戦略の中核を成すプロジェクトである」と述べました。この言葉はまったく大袈裟ではなく、政府はラピダスに9,200億円を支援することを決めました。
つまり約1兆円の税金がラピダスに投入されます。岸田氏はさらに、税制や規制、インフラ整備でも支援すると表明しました。税制での支援とは要は、税金を安くすることです。政府は、ラピダスに融資する銀行に対して債務保証も検討しています。債務保証とは、ラピダスが借金を返済できない場合に、政府が代わりに銀行に返済する制度のことです。これだけの税金が投入されるのは、ラピダスを含む日本の半導体業界が、2030年までに年間15兆円を稼ぎ出す力をつけるためです。
なぜ北海道だったのか
ラピダスはなぜ、日本の最果ての地である北海道(千歳市)に工場をつくることを決めたのでしょうか。同社は次のように説明しています。
■ラピダスが千歳市を選んだ理由
- 広大な土地がある
- 再生可能エネルギーのポテンシャルが高い
- 水が豊富
ラピダスは現在建設中の工場のほかに、第2工場や第3工場も視野に入れています。北海道なら「土地が足りない」という悩みから解放されます。そして半導体工場は電気と水を大量に使うので、いずれにも困らない北海道は理想の場所といえるでしょう。
ただ、これまで最果ての地に半導体工場がなかったのには理由があります。半導体をつくるにはさまざまな材料が、しかも超高品質のものが必要ですが、北海道では調達できません。製造装置も同じで、特殊な機械や部品が必要なのに、北海道内にそれらをつくれる会社はありません。したがって材料や機械、部品などは本州から運ぶことになりますが、それだと輸送コストがかかります。さらに千歳市内は大雪で交通網が麻痺することも珍しくありません。
また優秀な人材も大量に必要ですが、そのような人たちが北海道に移住することを喜ぶでしょうか。観光地としては魅力がある場所ですが、北海道の冬は相当厳しいといわざるをえません。
課題は?
ラピダス・プロジェクトの概要と重要性、そして、これにかける政府と経済界の本気度について解説しました。夢のある事業ではありますが、これだけ多くの資金と人を投じる以上、失敗することは許されません。最後にラピダスの課題について触れたいと思います。
ラストチャンスとは、あとがない状態
ラピダスのことをラストチャンスといったのは、小池社長自身です。
日本の半導体を世界1に押し上げた1人である小池氏は、当時のことを知っているエンジニアは今50代になっていると指摘します。ラピダス・プロジェクトが今より遅れていたら、その人たちを活用する場がなくなり、そのあとは日本が世界最強だったころの様子を知っている人がいなくなってしまいます。小池氏は、2ナノをつくるには人が最も大事で、世界最強を知っている人が現役でいるうちにやらないと達成できない、とまでいっています。「失敗が許されない」とは「失敗するとあとがない」という意味です。
100%成功するわけではない。鍵はIBMとの協業か
ラピダス・プロジェクトの総投資額は、税金や出資を含めて5兆円にのぼります。「回路を細くするだけでしょ、それだけ費やせば2ナノぐらいつくれそう」と考えるかもしれませんが、小池氏は次のように言っています。
「いろんな課題があるのは事実です。世界でも、できる企業は1社か2社ぐらいしかないと思います。それくらい非常に難しい技術です」
つまり100%成功するとは限らないのです。
ではラピダスの勝ち筋はどこにあるのか。小池氏はIBMとの協業にあると踏んでいます。ラピダスはすでに120人のエンジニアをIBMに派遣して研究、開発をさせています。IBMには2ナノの研究開発の知見がありますが、量産技術は持っていません。そこでラピダスがIBMから2ナノづくりを学び、量産につなげていくことになります。小池氏は2024年夏のラピダスの状況を、楽観はできないが確実に進んでいて、成功する確率と技術の精度は徐々に上がっている、と説明しています。