ナノテラスと金属加工の意外な関係

執筆者 | 6月 20, 2024 | ブログ

ナノテクノロジー

東北大学が2024年4月に次世代放射光施設ナノテラス(仙台市)の運用を始めました。ナノテラスは要するに顕微鏡であり、小さなものを見る機械なのですが、東京ドームほどの大きさを持ち太陽光の10億倍以上の明るさで、見る対象を照らします。

ナノテラスはナノ・レベルで物体をみることができ、例えば、ワクチンの成分が細胞のなかで機能している様子を確認できます。1ナノmは1mmの100万分の1です。そしてこの、極小のための巨大な顕微鏡は、金属加工の進化にも貢献するかもしれません。

ナノテラスは国家プロジェクト

金属加工との関係を紹介する前に、まずはナノテラスが「なんなのか」について解説します。

JR仙台駅から地下鉄9分の森のなかにある

(次世代放射光施設と書かれてあるのがナノテラス。森のなかにあることがわかる。グーグルマップから)

ナノテラスは仙台市青葉区荒巻青葉の東北大学・青葉山新キャンパス内にあります。東北大学の本部はJR仙台駅近くにあり、ナノテラスはそこから道路距離で4kmほど離れています。地下鉄だとJR仙台駅から、最寄りの青葉山駅まで9分です。そこに東北大学・国際放射光イノベーション・スマート研究センター(SRIS)があり、ナノテラスはSRISの施設の一つです。

東北大、文部科学省、宮城県、仙台市、地元経済界、大企業が新ビジネスを目指す

事の発端は文部科学省と国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構が、次世代放射光施設をつくるために地域パートナーを募集したことから始まります。その募集で選ばれたのが、一般財団法人光科学イノベーションセンターでした。一般財団法人光科学イノベーションセンターの構成メンバーは、東北大学、宮城県、仙台市、東北経済連合会です。

ナノテラスは国家プロジェクトであり、先端科学プロジェクトであり、地域振興プロジェクトであり、そして経済振興プロジェクトでもあります。ナノテラス事業ではコアリション(融資連合)という概念を採り入れ、企業からの出資も受けています。

コアリションに参加するための出資金は1口5千万円で、これまでにIHI、三菱重工、日立製作所などが出資しています。出資企業はナノテラス(次世代放射光施設)を1年間200時間使うことができ、そこで得た成果を占有することができます。研究で終わらせるのではなく、社会実装やビジネスにつなげていこうとしています。

ナノテラスの総工費は380億円で、うまくいけばこれ以上の経済効果を生み出せるわけです。なお次世代放射光施設の正式名称は「軟X線向け3GeV高輝度放射光施設」といい、その愛称がナノテラスになります。

参照

https://www.sris.tohoku.ac.jp/outline/missions

https://special.nikkeibp.co.jp/atclh/ONB/23/sendai0227

https://shuyukai-tohoku-u.net/wp/wp-content/uploads/2022/05/220804_takada.pdf

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC06DQ00W3A201C2000000

ナノテラスの仕組み、何ができるのか

ナノテラスの仕組みと、これを使って何ができるのかみていきましょう。

暗闇のなかにある目に見えない小さいものを明るく照らして見る機械

人間は数十兆個の細胞から成り立っていますが、人の全体や目、腕、足の爪などは見えても、細胞は肉眼では見えません。しかし、細胞も実際には目の前に存在しているため、理論上は「頑張れば」見えるはずです。この「頑張り」から生まれたのが顕微鏡です。顕微鏡は、肉眼では見えない小さなものを、人の目で見えるように拡大した映像をつくる機械です。

ところが、まだまだ現行の顕微鏡でも見えない小さいものが存在し、より高性能な顕微鏡が必要になりました。その一つがナノテラスというわけです。なぜ小さいものは見えないのか。それは小さいものが暗いところにあるからです。暗くなるのは光が届かないからです。人の目は、光がないと見えないのです。

そうであるならば、小さいものでも明るく照らせば見えることになります。それでナノテラスは、太陽光の10億倍以上の明るさをつくって、小さいものを照らすことにしました。ナノテラスは、ナノ・レベルで物質の状態を可視化する装置です。

参照

https://wired.jp/article/what-is-nanoterasu

太陽光の10億倍以上の明るさをつくるための東京ドーム大の機械

太陽光の10億倍以上の明るさは電球やLEDではつくれず、放射光という光が必要になります。放射光を生み出すのに東京ドーム1個分の大きな施設が必要になるわけです。放射光は電子を、光の速さほどの高速で直進させて、急に進行方向を変えたときに放たれます。そのため放射光をつくるときには、電子を高速で直進させる線形加速器と、直進する電子の進行を曲げる円型加速器の2つの加速器を使います。

2つの加速器によって電子が生み出した放射光は、ビームラインという装置に入れられ、ここで対象物を照らします。なお放射光はX線ですが、ナノテラスで使っている放射光のエネルギーは、病院のレントゲン検査で使うX線と同レベルのもので、危険性は高くありません。

ただ、電子を動かす加速器は、放射線の漏洩を防ぐために分厚いコンクリート壁のなかに格納され、さらにナノテラス周辺に線量計を設置して放射線漏れの有無をチェックします。

参照

https://wired.jp/article/what-is-nanoterasu

https://www.qst.go.jp/site/qubs/nanoterasu-rensai-81.html

原子・分子から製品をつくる手法が可能になる

ナノテラスで何ができるのか、という質問に対する答えの一つが、原子・分子の組み合わせから機能を探って製品をデザインすることです。これは新しい手法による製品開発になります。世の中に鉄製品やガラス製品、ゴム製品などがあるのは、素材の特性と製品の特性をマッチさせる必要があるからです。製品によって素材を使いわけなければならないのは、素材によって機能が異なるからです。そしてその機能を生み出しているのが、素材を構成する原子や分子の特性です。

人類はこれまで、素材の機能を確認してから「この製品に使おう」と決めてきました。しかし、この手法では、素材の持つ機能以上の性能を持つ製品をつくることができません。したがって、より高い機能を追求するには、素材を原子・分子レベルでデザインし、変えていかなければなりません。

そのために、原子・分子レベルで観察できるナノテラスのような超高性能顕微鏡が登場しました。最先端の研究開発では、素材を原子・分子レベルで操作し、求める機能を持つ製品を生み出そうとしています。

参照

https://shuyukai-tohoku-u.net/wp/wp-content/uploads/2022/05/220804_takada.pdf

放射光施設の実績

先ほど「ナノテラスのような超高性能顕微鏡」と説明しましたが、ナノテラスが世界初の放射光施設というわけではありません。放射光施設はフランス、スウェーデンなどに約50カ所あり、そのうち9カ所は日本にあります。

例えば兵庫県佐用町にある「SPring-8」は硬X線を使った放射光施設で、金属の深部を見るのが得意です。ただSPring-8は1997年にできたもので、最新とはいえません。また、材料の表面を分析するには軟X線を使ったほうがよい、という事情もあり、「軟X線向け3GeV高輝度放射光施設」であるナノテラスをつくることになったのです。

ちなみにダンロップ・ブランドのタイヤを製造販売している住友ゴムは、SPring-8を使って低燃費タイヤ「エナセーブ」をつくりました。SPring-8はさらに、スマホ画面、シャンプー、建材、燃料電池、インフルエンザ治療薬の研究に使われています。原子・分子の組み合わせから機能を探って製品をデザインするモノづくりは、もうビジネス化されているのです。

話をナノテラスに戻しますと、ナノテラスの運営主体の一つである光科学イノベーションセンターの高田昌樹理事長は「ナノテラスは海外につけられていた性能差を一気に逆転できる」と述べています。企業がナノテラスをフル活用すれば、日本製品の性能がさらに高くなるわけです。

参照

https://news.yahoo.co.jp/sponsored/sendai_220920.html

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB15H6S_V10C17A2L01000

https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2023/0622_04.html

https://shuyukai-tohoku-u.net/wp/wp-content/uploads/2022/05/220804_takada.pdf

ナノ顕微鏡で金属加工をみるとどうなるのか

ナノテラスと金属加工の関係について紹介します。ナノテラスの地元宮城県の電子部品製造・加工の株式会社TDC(本社・利府町)は、超精密研磨加工ができる会社です。同社は資本金3,000万円、従業員数67人の中小企業です。TDCは、自社が研磨した製品をナノテラスで見れば、さらに精密に研磨できると考えています。

参照

精密より高精度の超精密

TDCが行なっている超精密研磨加工は、金属やセラミックの表面を1,000マイクロm分の1のレベルで磨く技術です。超がつかない精密研磨加工は1,000mm分の1の精度なので「超」のすごさがわかると思います。1マイクロmは1,000ナノmなので、超精密研磨加工はナノの世界に踏み込んでいます。ナノ・レベルの研磨は、削る時間を数秒間違えただけで不合格になるシビアな世界です。ここまで精巧な研磨が必要になるのは半導体ウエハやカメラのレンズです。

TDCはこの技術をさらに高めるためにナノテラスを利用することにしました。ナノテラス事業のコアリション(融資連合)に参加することで、中小企業でもナノテラスを使うことができるのです。

参照

「できないといわない」ために

TDCのモットーは「できないといわない」と「測れる限界はつくれる限界」の2つです。つまり「1ナノmまで測定できたら1ナノmまで削ってやる!」という気概を持っているのです。TDCはこれからナノテラスを使っていくのですが、同社はすでに、先ほど紹介した兵庫県佐用町にあるSPring-8を利用しています。TDCは自社で、銅とステンレスの金属片を10ナノm仕上げと1ナノm仕上げで磨き、SPring-8に持ち込み表面の粗さを測定しました。

その結果、見事に1.5ナノm以下の平滑性(ツルツル度合い)を確保できていることがわかりました。SPring-8の測定によって「TDCの磨きはナノ・レベルである」ことが証明されたのです。金属加工会社は、このように放射光施設を使うことができます。

ではTDCは、最新の放射光施設であるナノテラスをどのように使おうと考えているのか。金属の下層部分までツルツルにしようとしています。ナノテラスなら、金属の下層の分子構造まで分析できるからです。ナノ・レベルの研磨は非常に繊細なため、たとえ一時的に表面の平滑性を基準値以内に収めることができても、しばらくすると環境の影響で基準値を超えてしまうかもしれません。基準値以内の平滑性を長く維持するには、金属の下層部分にも気を配る必要があるわけです。

ナノテラスの高田理事長は「私たちはモノづくり企業、地域などと手を携えて、企業価値の創出と世界に誇る日本の競争力を高めていきたい」と述べています。TDCのような地元企業にこそナノテラスを使ってもらいたいと考えていることがわかります。

参照

https://www.tohoku.meti.go.jp/s_sancle/topics/pdf/230519.pdf

どの企業にも知見を得るチャンスがある

日本のモノづくりは中小企業が支えているわけですが、その成長スピードは速いとはいえないようです。製造業の大企業が軒並み過去最高益を記録するなか、中小の金属加工会社の多くは厳しい経営環境に置かれています。中小企業に成長を促すサポートが必要なことは明白です。

ナノテラスは、国内有数の大学が行う世界レベルの研究開発施設であり、大企業が魅力に感じる測定機器でありながら、中小の金属加工会社の発展にも寄与できます。ナノテラスは開かれた施設なので、どの企業にも新たなビジネスにつながる新たな知見を得るチャンスがあるでしょう。