金属加工工場の作業者がステップアップしたいと思ったとき、材料力学の知識を習得することは有効です。材料力学とは、力が加わった物体の変形や破壊を研究する学問です。金属加工で最も重要なことは、加工技術や工作機械の操作の習得だと思いますが、金属=材料について知ることはその次くらいに大切なことです。金属加工の作業者が材料力学を習得すると、歩留まりを改善できたり、製品の品質を高めたりすることができます。
金属加工の現場で材料力学が活きるシーン
材料力学の概要を紹介する前に、金属加工の現場で材料力学の知識が活きるシーンを考えてみます。
歩留まりが改善する
金属加工の作業者が抱える永遠の課題に、歩留まりの改善があります。歩留まりが改善すると、つまり不良品の数が減るとコストが減り、利益が増え、作業時間が減り、品質が向上します。
作業者が材料力学を習得すると、金属が変形する様子や製造中の金属製品が壊れるタイミングが「みえる」ようになるので、効果的な予防策を立てられるようになり歩留まり改善に貢献します。作業者は例えば「この金属にはこういう特性があるから、このタイミングで加える力を弱めると壊れないだろう」と予測できるようになります。
適切な加工ができるようになる
金属製品づくりでは「A工程→B工程→C工程」の順につくると歩留まりが良くなるが、「C→B→A」に変わると歩留まりが悪化する、といったことが起こりえます。単純な例ですが、アルミ板で自動車のボディをつくるとき「プレス成形→穴あけ→曲げ加工」と進みます。この順番で加工することで、各工程がアルミ板に与える影響を最小にできます。これを「曲げ加工→穴あけ→プレス成形」の順番にしてしまうと、すでに曲げた部分に力が集中して変形しやすくなってしまうのです。
複数の加工工程の順番を決めるとき、材料力学の知識と情報は欠かせません。材料力学は金属を知る学問なので、これを習得すると「金属が曲がりたいように曲げていく」ことが可能になります。
発注企業に信頼される
発注企業は金属加工会社に、金属の種類や加工法などを指定して部品製造を依頼するわけですが、その発注内容や仕様は、材料力学に基づいていなければなりません。もし発注企業が提示した仕様が、材料力学に反する内容であれば、高品質の部品ができなかったり、不良品が多く出たりするでしょう。このとき金属加工会社の担当者のほうから、材料力学に基づいて「ほかの金属を使ったほうがよい」「別の加工法のほうが精度が出やすい」といった提案ができると、金属加工会社から信頼されます。
工作機械の故障を減らせる
材料力学に合致する金属加工なら「金属が曲がりたいように曲げていく」ことができるので、工作機械や設備に負担をかけません。例えば材料力学を習得した作業者なら「この金属を削るときはこの刃物を使ったほうがよい」といった判断ができるので、工作機械の部品の摩耗の進行も遅らせることができるのです。以上のように材料力学の知識は「金属加工工場にあったほうがよい」というレベルを超えて、「金属加工工場に不可欠の知識」といえるでしょう。
材料力学とは
それでは材料科学の概要について解説していきます。
物理学>力学>連続体力学>固体力学>材料力学
材料力学は学問の名称で、その大元は高校で習う物理学になります。物理学のなかに力学があり、そのなかに連続体力学があり、そのなかに固体力学があり、そのなかに材料力学があります。それぞれの「学」の概要は以下のとおりです。
「学」の名称 | 概要 | 概念と専門性 |
物理学 | 自然界の法則や現象を研究する | 概念は大きいが 専門性は低い ↑ ↑ 概念と専門性 ↓ ↓ 概念は小さいが 専門性は高い |
力学 | 物体の運動や力の作用を研究する | |
連続体力学 | 研究対象を連続体という空間的広がりを持った物体としてとらえ、その力学的挙動を研究する | |
固体力学 | 固体の変形や破壊を研究する | |
材料力学 | 材料が受ける力や応力に対する反応を具体的に分析し、変形や破壊のメカニズムを研究する |
物理学はとても大きな概念で、研究対象は自然界全体です。概念が大きい代わりに専門性は低くなります。「専門性が低い」とは、工業やモノづくりなどの専門領域では物理学をそのまま使うことはできない、という意味になります。材料力学の位置は「物理学>力学>連続体力学>固体力学>材料力学」となっていて、概念はより小さくなり、専門性がより高くなっていることがわかります。
材料力学が小さい概念で、なおかつ専門性が高いのは、この「学」に求める知識が極めて特殊だからです。つまり材料力学は、材料を使って何かをつくるときだけに使う物理学なのです。なお材料力学を理解するには、もう一つ別の「学」が必要になります。それは工学です。
工学>機械工学>機械の材料>材料力学
工学は学問のなかでも産業寄り、経済よりの学問です。
金属加工は、工学のなかの機械工学に属します。機械工学は、機械の設計と製作を学ぶ学問で、機械に機能を持たせたり、機械が壊れないようにしたりすることを研究します。その研究には機械の形状と材料に関する知識が必要になり、このうち材料に関わるものが材料力学です。こちらの概念図は以下のようになります。
「学」の名称 | 概念と専門性 |
工学 | 概念は大きいが専門性は低い ↑ 概念と専門性 ↓ 概念は小さいが専門性は高い |
機械工学 | |
機械の形状と材料の知識 | |
材料力学 |
工学では機械や構造物をつくっていくわけですが、そのとき重要になるのは形と材料です。適切な材料を適切な形に加工して組み合わせたときに初めて、機能を有する壊れにくい機械・構造物が完成します。材料力学では、機械・構造物のなかの材料がどのような特性を持ち、どの状態で機能を発揮して、どの域に達すると壊れるのか、といったことを研究します。
参照:https://web.tuat.ac.jp/~nagaki/zairiki/memo/memo2k102.html
材料力学に存在する力
さらに材料力学の深部に迫っていきましょう。材料が機能を発揮するのにも、壊れない機械・構造物をつくるのにも、材料にかかる力が重要になります。そのため材料力学では力に注目します。
応力とひずみで、力と変形の関係を明らかにする
材料力学ではいくつか力が登場しますが、基本となる力は応力です。応力は、材料の単位面積あたりにかかる力のことです。応力は通常、σ(シグマ)という記号で表され、材料に加わる力をF、材料の断面積をAとしたとき次の式が成り立ちます。
■応力の式
σ=F/A
材料力学において応力が基本になるのは、「ひずみ」を計測したいからです。ひずみとは変化のことであり、材料力学では、応力で材料がどのようにひずむのか知る必要があります。ひずみは困る現象です。
金属加工を含むモノづくりでは、材料を加工してつくった製品の形や性状は、未来永劫変化して欲しくありません。ところがそのような理想の材料は存在せず、形や性状は力が加わることによって変化します。しかし変化が少ない材料をつくったり、変化が少ない材料を使ったりすることはできます。そこで、ひずみを計測して変化対策を講じていくのです。
ひずみは、単位長さあたりの伸びで測定します。ひずみは通常、ε(イプシロン)という記号で表され、材料の変形の標点距離をL、伸びを△Lとしたとき次の式が成り立ちます。
■ひずみの式
ε=△L/L
材料に応力が加わるとひずみが生じる、と考え、応力とひずみを計測することで材料の特性を評価します。
参照:https://web.tuat.ac.jp/~nagaki/zairiki/memo/memo2k104.html
応力の種類:引張、圧縮、せん断、曲げ、ねじり
先ほどのひずみの説明では、応力が加わったときの材料の伸びに着目しましたが、これは応力のなかで引張(ひっぱり)が基本になるからです。金属などの材料は、強い力で引っ張ると伸びて、いずれ切れます。ただし引張以外にも重要な応力があります。さまざまな応力で材料を評価しないと、金属加工するときに「この部品に使える金属=材料はこれ」というような適切な選択ができません。
材料を評価するうえで重要な5つの応力は、引張、圧縮、せん断、曲げ、ねじり、です。この5つの応力で材料を試験して、ひずみ具合を測定します。
■5つの応力を使った材料試験の特徴
- 引張試験:材料の両端を外側に引っ張る
- 圧縮試験:材料を両端から内側に押す
- せん断試験:材料が平行にずれるように力を加える
- 曲げ試験:材料の中央に力を加える
- ねじり試験:材料を回転させるように(ねじるように)力を加える
特殊な応力:応力集中、残留応力、疲労応力など
さらに深掘りしていきます。上記で紹介した5つの応力を使って試験すれば、おおよその材料の特性を評価できますが、それでも足りないことがあります。人命に関わるような超重要な場所に使われる金属部品は「ほぼ絶対的なひずみのなさ」が求められるからです。そのような超重要金属部品に使われる材料の試験では、5つの応力以外の応力も使って測定する必要があります。
ここではそれを「特殊な応力」と呼んでおきます。特殊な応力の一つは、応力集中です。金属部品が特殊な形をしていると、その場所に応力が集中してしまうことがあります。例えば金属部品に穴があると、そこに応力集中が発生して破壊の起点になります。飛行機の翼の接合部にリベットを埋め込む穴を開けるときは、応力集中の試験もしなければならないわけです。
特殊な応力にはそのほかに、残留応力もあります。これは加工や冷却過程で材料の内部に残る応力であり、新たに外部から応力が加わらなくてもひずみが生じてしまいます。金属加工のなかで残留応力が問題になるのが溶接です。溶接の高温で材料の金属に残留応力が生まれてしまい、そこが弱点になります。
熱処理を行う歯車も残留応力が発生しやすく、関連の試験が必要になります。歯車は機械の奥にあり、歯車がある部分は大抵は密閉してそのなかを潤滑油で満たすので、歯車が壊れると機械を分解して修理しなければなりません。そのため歯車は、壊れるにしても最後に壊れて欲しい部品になります。それで歯車メーカーは残留応力を調べる試験を行うのです。
疲労応力も特殊な応力といえるでしょう。疲労応力は金属部品の疲労破壊の原因になります。金属部品に弱い力が加わってもひずみは生じませんが、それでも長期間にわたって弱い力が加わり続けると疲労応力がたまっていきます。それである日突然、金属部品に小さな衝撃が加わっただけで壊れてしまいます。
荷重の種類
材料力学では荷重の知識も必要になります。
荷重の基礎知識:正体は力
荷重とは何か、という質問の最もシンプルな答えは、荷重とは力である、です。これは直感的に理解しやすいと思います。例えば「段ボールに荷重がかかってつぶれた」といっても「段ボールに力が加わってつぶれた」といっても同じ意味になります。さらに荷重のことを、「重力」や「外から加わる押す力」や「外から加わる引く力」と呼ぶことがあり、これらはすべて力です。そして荷重も力も、その単位はN(ニュートン)です。
では荷重と力の違いは何か。それは用語が使われるシーンです。
「荷重」という用語は、材料や金属製品、機械、構造物に外部から力が加わったときによく使われます。「橋に力が加わる」と表現してもいいのですが、「橋に荷重がかかる」といったほうがしっくりきます。一方の「力」は学問で使われます。また「力」というと磁力や電場の力も含まれてしまい、材料力学の領域では「力」の概念は大きすぎます。材料力学では「荷重」を使ったほうがよいでしょう。
動く荷重のほうが重要
荷重 | 静荷重 | |
動荷重 | 衝撃荷重 | |
繰り返し荷重 |
荷重には静荷重と動荷重があり、金属加工でより重要になるのは動く荷重です。
まず静荷重について説明します。先ほど紹介した5つの応力(引張、圧縮、せん断、曲げ、ねじり)を使った材料試験は静荷重で行います。材料に一定の応力を加えて、その力を維持しながらひずみが生じるのを待ちます。ただ静荷重(5つの応力)を使った試験で得られる材料の情報も重要ですが、実際に機械や構造物に使われている材料にかかる力は、大きさも頻度も常に同じではありません。したがって厳密には、静荷重試験だけでは機械・構造物の材料のひずみを正しく評価できません。
そこで動荷重を使った試験が必要になります。動荷重には衝撃荷重と繰り返し荷重があります。衝撃荷重とは、例えばハンマーで思い切り材料を叩く荷重です。自動車事故では瞬時に数万N(ニュートン)の動荷重が加わるので、自動車に使う材料の試験でも同程度の衝撃荷重試験が必要になる、と考えることができます。
繰り返し荷重には、引張または圧縮だけを繰り返す片振り荷重と、引張と圧縮の両方を繰り返す両振り荷重があります。材料が使われるシチュエーションに応じて、片振り荷重試験をしたり、両振り荷重試験をしたりします。繰り返し荷重によって疲労限界や疲労破壊のメカニズムや、靭性(粘り強さ)や脆性(もろさ)がわかります。
世界は材料力学がつくっている
金属加工から少し離れた話になりますが、材料力学を知ると、今ある世界は材料力学によってつくられている、と感じるでしょう。
壊れないのは材料力学のお陰
例えば、ほとんどの人は、ビルや住宅、橋、ダムは壊れない、と思っています。なぜそう思うのかというと「きっと誰かが頑丈につくっているだろう」と信頼しているからです。この誰かがしていることこそ、材料力学に基づいて適正な材料をビルやダムなどに使うことなのです。
スマホが便利で安いのは材料力学のお陰
スマホが世界中で大ヒットしているのは便利な割に安価だからです。もちろん高額のスマホもありますが、基本機能だけでよければ格安スマホでも不便なく使えます。スマホが便利なのは小さいからで、スマホが安価なのは安価な材料を使っているからです。スマホの開発者は、小さくしても性能が落ちず、安価で、そこそこ頑丈な材料をみつけてスマホをつくってきました。材料力学に基づいて適切な材料の選ばなければ、スマホも自動車も冷蔵庫も、これほど便利かつ安価にはならなかったでしょう。
安全なのは材料力学のお陰
昔の自動車は現代の自動車より危険でした。それは昔の自動車は金属を多く使っていたため「殺傷能力」が高かったからです。しかし現代の自動車は、事故を起こしたときの衝撃を小さくする材料や、事故による衝撃ですぐに壊れる材料を使うことで、安全性を高めています。材料力学は、物の安全対策を考えるときの重要なデータを提供します。
人の命を救えるのは材料力学のお陰
医療では頻繁に、非生物的かつ人工的な材料を次々体内に入れています。心臓の血管の詰まりを解消する心臓カテーテルにはナイロン、シリコン、ステンレスなどが使われ、人工骨にはチタンやセラミックなどが使われ、心臓ペースメーカーには電子回路や電池が入っています。これらの人工物が体内で破壊したり、機能が低下したりしたら、命に関わります。材料力学は人の命を救うことにも貢献しているのです。
リスキリングによいのでは
リスキリングは、技術革新や市場の変化に適応するために新しい知識やスキルを習得すること、と定義されます。政府もリスキリングを「学び直し」と呼び、ビジネスパーソンに奨励しています。金属加工会社の作業者が材料力学を習得することは、まさにリスキリングになるでしょう。
作業者は、日々の仕事をこなしながら材料力学を学ぶことになるので苦労はあると思いますが、その期間は数年あれば十分です。例えば、働きながら夜間大学に通うこともできるでしょう。そして作業者が材料力学を修めれば、金属加工会社にも大きなメリットをもたらします。そのため会社が作業者のリスキリングの費用負担をすることは、効果が高い人的投資になるはずです。